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ロンドン西部の高層公営住宅火災の悲劇 [命]

今月14日、ロンドン西部の24階建ての高層公営住宅「グレンフェル・タワー」で大規模な火災が発生しました。


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ニュースの画像を見ているだけでも火災の凄まじさを痛感させられました。


日頃、都内の高層マンションや高層ビルを目の当たりにするたびに「火事になったらどうなるのだろう?」と思っていましたが、改めてその思いが強くなりました。


ロンドン警視庁は17日、この火災で58人が行方不明になっていると発表したものの、建物内に生存者はいないことから不明者全員が死亡したのではないかとしています。


何故、ここまで火災が一気に広がってしまったのでしょう?ニュースの映像を見ていると、まるでガソリンでも浸み込ませた建物に火を付けたような印象です。





どうやらこの高層公営住宅にはスプリンクラーが設置されていなかったようです。そして驚いたのはスプリンクラーが設置されていないのは、今回火災のあった「グレンフェル・タワー」だけではなく、英国内にある数千に及ぶ高層住宅の多くに設置されていないと言うのです。


なんでも英国内でスプリンクラーの設置が義務付けられているのは、2007年以降に建てられ、高さ30メートル以上の建物のみだそうなのです。そしてこのことは過去にさかのぼって適用されないため、1974年に完成した「グレンフェル・タワー」にも適用されていなかったそうなのです。


と言うことは、今後も同様の火災事故が発生したとしてもおかしくないということになります。しかし簡単にスプリンクラーを設置できるかと言うとそうでもなさそうです。莫大な費用がかかるようです。


消火スプリンクラーの業界団体「英自動消火スプリンクラー協会(BAFSA)」によると、「グレンフェル・タワー」にスプリンクラーを設置する費用を20万ポンド(約2800万円)と見積もっています。


確かに多額の費用です。それに工事と言っても素人目で見ても簡単にできるものでもないとは重います。
でも今回の火災に関して言えば、火の回りが外壁を這うように広がりを見せたことから、スプリンクラーがあってもさほど変わらなかったのではないかと言う見解もあるようです。きっと構造上の問題や建築資材に起因していたのかもしれませんね。


そんな恐ろしい火災のさなか、逃げ遅れた母親が窓から赤ちゃんを投げ、地上にいた住人が赤ちゃんを受け止めという記事が英国メディアで話題になっているようです。


9階か10階程の窓で母親が群衆に向かって赤ちゃんを投げるしぐさをした後で、赤ちゃんを投げ、それを一人の男性がキャッチしたそうなのです。赤ちゃんは毛布にのようなものにくるまれていたそうです。母親の安否は不明だそうです。


この記事を見たとき、本当に心が痛みました。必死でわが子だけでも助けようとしたのでしょう。でも10階の高さと言えば、有に30m強はあると言います。おそらく高所恐怖症の僕には下も観ることができないような高さだと思います。そこから赤ちゃんを投げれば、必ず誰から受け止めてくれるという確証は母親も持てなかったはずです。もしキャッチされなければ、結果としては自分でわが子の命を奪うことになる訳です。それとも極限の状態ではそのようなことは頭にも思い浮かばず、このままだと確実に死ぬ、だから赤ちゃんの命を救う方法として迷わず取った行動だったのかもしれません。


過去にも高層ビル、高層マンションの火災は少なからずありました。何故、それでも皆高層マンションに住みたいと思うのでしょうね。ステータス?景観?


確かに住んでみたくないと言えば嘘になるかもしれませんが、少なくとも僕の場合は、その欲求よりも「火災が起きたらどうしよう?」、「地震が起きたらどうしよう?」と言う恐怖心の方がはるかに強いので、状況が許したとしても住もうとは思いません。


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今回の火災を受けて英国内では高層ビルや高層マンションに対してどのような対応を取っていくのでしょう?


先ほどの費用面の話ではありませんが、もし簡単にはできないことだからと、従来通りのままということならば、住人が自らその住まいで継続して生活を営んで行くのか否かを決めなくてはならないのでしょうね。いずれにしても大きな問題です。


お亡くなりになられた方たちのご冥福をお祈りいたします。


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快速電車に飛び込むも、命に別条なし! [命]

快速電車に飛び込んで命に別条なしだなんて、このようなことが現実にあるのですね。驚きました。


これは先日6日に東京都板橋区の東武東上線東武練馬駅で通過しようとした小川町発池袋行き快速電車に飛び込み自殺を図った男性のお話です。


なんと飛び込んで衝撃で運転席の窓ガラスが割れ、男性はそのまま上半身が車内に乗り込む形になったわけです。


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それがよかったのでしょうか?男性は骨折などの重傷を負いましたが、会話もできており、命に別条はないということなのです。





一方、本来ならあり得ないはずの人間の体がいきなりガラスを突き破って運転席に入ってきた運転手さんも腕や肩を打って軽いケガをしたそうですが、これもその程度で済んだなんて奇跡的ですよね。


この事故で、東武東上線は約1時間20分運転を見合わせ、上下計34本が運休するなど約9000人に影響したそうですが、運転手さん、よく落ち着いて緊急停止させましたね。相当パニック状態に陥ったと思うのですが、大したものです。一歩間違えば他の乗客にも大きな危険が降りかかったかもしれないのですから。


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誰もが駅で通過する快速電車を見送った事はあるかと思いますが、かなりの速度ですよね。


男性が奇跡的に助かったことについては、警察ではこのようにコメントしています。


「ホームを通り過ぎる電車と衝突しても助かったとは」


東武鉄道の担当者はこのようにコメントしています。


「運転席の窓ガラスが割れたことで助かった例は聞いたことがない」。


それにしてもなぜこのような事をしたのでしょう?


若干19歳と言うことでしたが、本人にしてみれば考えに考えた末での行動だったのかもしれません。でもこれだけ多くの人に迷惑をかけてしまっては・・・・。


命は助かったものの、これから賠償の問題やら様々な問題が待ち受けているでしょう。体の方も完全に元の状態に戻ればいいのですが、何か後遺症でも残ればそれはそれで一生つきあっていかなくてはなりません。


一度は捨てた命です。生まれ変わったつもりで、頑張って欲しいものです。


そして運転手さんにも、変なトラウマが残らない事を願っています。

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あまりにも惨い草加市の事故 [命]

2月8日、正午すぎに発生したあまりにも惨い埼玉県草加市の交通事故


交差点で、信号無視をしたトラックに親子がはねられ、お子さんは奇跡的に助かったものの、お子さんを庇った38歳の母親がお亡くなりになりました。


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あまりにも凄まじい事故でした。


ブレーキをかけた痕跡もなく、速度を緩めることもなく、そのままスピードで交差点に進入。他のトラックを巻き添えにして、保育園帰りの、仲良く手を繋いで歩いていた親子を襲ったのです。


子供が生きている事が正に奇跡とも言える事故。





トラックを運転していた八下田 誠男(しずお)容疑者(28)は、過失運転致死傷の現行犯で逮捕されました。


八下田容疑者は、調べに対しこのように話しています。


「道が混んでいたので、いつもとは違う道を通っていた。スマホで地図を見ながら走っていたため、信号をよく見ていなかった」。


あの速度で、スマホを見ながら走るとどのような事が起きるかぐらい想像がつくはずです。ましてや類似した事故が多発しているのです。


どうやって償えるというのでしょう?


ご主人のあまりにも淡々としたインタビューの受け答えに少々とまどいを感じました。


受け止めているとは言いながらも、きっとまだまだ受け入れられていないのでしょう。でもそれが普通だと思います。自分だったら気が狂っているかもしれません。


「事故を起こすと、どっちも被害者になる。起こした人も、起こしたくて起こしているわけではない。明らかに赤信号だけど、そんな人はいないんだし。ただ、やったことは、こっちも受け止めているんですよ。もう妻はいないんだから。車を運転した人も、それはしっかりと認めてほしい。」


9日はそのお子さんの2歳の誕生日でした。きっと親子でお祝いをする予定だったのでしょう。


そしてご主人は、そのお子さんが2歳を迎えるタイミングで、今まで取得していた育児休暇から仕事に復帰する予定であったそうです。


一瞬にして幸せに暮らしていた家族の生活を壊したこのような事故、なぜ無くならないのでしょう?


ご冥福をお祈りいたします。


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高齢者ドライバーの事故 [命]

3日午後5時ごろ、福岡市博多区大博町の原三信病院の東館1階ラウンジにタクシー1台が突っ込み、男性2人と女性1人が死亡、男女7人が負傷、うち1人は重篤というとても痛ましい事故が発生しました。


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車を運転していたのは64歳のタクシー運転手で、自動車運転処罰法違反(過失傷害)の疑いで現行犯逮捕されました。


今の時代、64歳を高齢者と呼べるか否かは別として、高齢者ドライバーの事故が後を断たない中、タクシー運転手の高齢化も問題になっているようです。


確かに高齢のタクシードライバーさん、よく見かけます。


大分以前に、仕事の関係で鬱になった?、なりかけた?事があります。その時に何も考えられずに、またタクシーの仕事の大変さなど何も知らずに、会議もなく、人との関わりが少ないであろうタクシードライバーになろうと思った事がありました。


何人かのドライバーさんにタクシーを利用したときに話を聞いた事があります。口を揃えて言われたことは、「やめた方がいい」でした。


肉体的・精神的な疲労や勤務形態、賃金等など。


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でもそんな過酷な労働条件の中で高齢化が進んでいるのならば問題ですね。


先月の27日にも千葉県浦安市の路上で65歳のタクシー運転手が走行中に突然意識を失い、乗っていた客が後部座席から身を乗り出してハンドル操作を行なうという事故が発生しました。


大きな事故にはならなかったようですが、タクシーのドライバーさんは搬送先の病院でお亡くなりになりました。


意識を失ったと言うのですから、心筋梗塞や脳梗塞などの症状が突然襲ったのでしょう。


若い方でもなる方がいますから、一概に年齢的な問題と言うことで片付けることもできないでしょうね。


タクシーのドライバーさんの平均年齢は58.7歳だそうです。全産業労働者の平均42.9歳と比べると15歳以上も高いのですから、大きな問題ですね。


一応、法人に勤務しているタクシーのドライバーさんにはやはり60~65歳を定年に定めている会社が多いようです。


しかし、定年を迎えた後でも1年更新のアルバイトとして働ける事業所がほとんどで、運転に問題がなければ75歳程度まで働き続けられるそうなのです。


今の時代、ベテランのドライバーさんにしてみれば、とてもありがたいお話です。長年勤めあげてきた仕事ですから、体も慣れているでしょうし。


独立してしまえばそれこそ定年がなくなりますから、生活と言う点では安定します。


最大の問題は、老いからくる肉体的、精神的な衰えに対してどこで区切りをつけるかと言うことです。


細心の注意を払っていれば未然に防げた事故も、年を取るに従って判断力や認知力が鈍り、防げなくなってくるのは事実です。


それに加えて不規則な勤務形態による疲労も蓄積されていくのですから、本当に大変です。安易に飛び込もうとしていた自分の甘さに腹立ちさえ覚えます。


千葉の事故も含め、今まで何の不調もなく、元気に過ごしていた人が突然死すると言うケースもよく耳にします。勿論その可能性は年齢と共に高くなります。


とても難しい判断です。でもタクシーだけではなく、人員輸送のお仕事をしている人に関しては、キツいようでもどこかで法的に、かつ強制的に区切りをつけなくてはいけないのかも知れませんね。


ある一定の年齢を越えたら、人員輸送の仕事には従事できないとか。


お金を支払って命を落としたのではあまりにも遣りきれません。


人の命を乗せて走るのです。これからのさらなる高齢化によって、今まで以上に事故も増えてきそうです。


予め、一定の年齢になった時点で、配置換えなどで、人員輸送のお仕事に携わる仕事には就けなくなるということを前提にした方がいいのではないでしょうか?


自己判断に任せるという時代はもうそろそろ終わりにしなければならないかもしれません。


子供たちの通学途中の列に突っ込んだり、病院に突っ込んだり・・・


命を奪われる方は勿論のこと、加害者になってしまったら、残りの人生償いの人生になってしまいます。


そうならないためには乗らないことが一番ですね。

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14才の少女が自らの遺体を冷凍保存に! [命]

このような裁判が行われていたなんて・・・・・。同種の訴訟はおそらく世界で初めてだそうです。


これは親子間で裁判をしていたと言うことなのでしょうか?


末期がんで闘病していた14才の少女が「何百年先でも、病気が治る日が来るなら」と未来に治療法が見つかり「蘇生」することを願って、自らの遺体を冷凍保存する権利を主張していたそうなのです。


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その少女はロンドン地方在住で、両親が離婚して母親に育てられており、施設がある米国での冷凍保存を望んだものの、未成年のため、法的な遺言を残せなかったわけです。


そのため自分の遺体の取り扱いについて決められる人を少女の願いに賛同している母親一人に限定することを求めて訴訟を起こしたということのようです。


どうやらその少女は、死去数カ月前に遺体の冷凍保存についてインターネットで知り、両親に提案したようなのです。母親の賛同を得られましたが、父親からは反対されました。


離婚した父親は、「仮に200年後に生き返っても、別の国で誰も知り合いがいないのではどうしようもない」などと難色を示しましたが、それはそれで娘を思う親心として理解できます、


裁判の結果は、「少女の遺体の扱いは母親のみが決定できる」と少女側の勝訴となり、自らの遺体を冷凍保存する権利を、裁判で勝ち取ったのです。10月6日のことです。


人体冷凍保存は、難病や加齢で死亡した人の体を、医療が進んだ将来、解凍・蘇生させることを目的に、超低温で冷却し保存する技術とのことです。


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現在、米国とロシアに施設があるそうですが、米国ではこれまで300人以上が凍結保存されたが、蘇生の成功例はないそうです。


素人目に見ても、一度命を落とした人間が蘇生するとは思えません。


生命科学に詳しい専門の医師の話によると人間の脳などの細胞は、亡くなってから数分で死んでいくそうで、たとえすぐに凍らせることに成功しても、解凍することでさらにダメージが広がるとして、たとえ数百年後でも難しいと疑問視しています。


従って裁判所の方でも慎重に言葉を選んでの判決であったようです。生命に関することですから、迂闊な発言もできません。父親の意見にも理解を示しつつこのような見解を強調しています。


「冷凍保存に関する科学的根拠は推論的で異論もあり、倫理性についても相当の論議がある」。

「細胞や組織の冷凍保存は、例えば不妊治療の一環としての精子や胚(はい)の冷凍保存のように、医学の特定の分野ではよく知られている」。

「人体の冷凍保存はその究極にある」。

「今回の判決は冷凍保存が科学的かどうかについて判断するものではなく、娘が死去した後の対応を巡る両親の間の争いについて判断するものだ」


しかしそんな裁判官の心を動かしたのでは1通の書簡でした。


「私はまだ14歳で、死にたくないけれど、死が近いことも知っている。冷凍保存は、たとえ何百年も先でも、病気が治って目覚めるチャンスをくれると思う」


少女は自分の望みがかなうと知ってその11日後の10月17日に安らかに息を引き取ったと言います。


遺体は死後8日目の10月25日、ロンドンから施設に到着。


コンピューターで制御された冷却室に運ばれ、液体窒素温度に冷却されたといいます。


24時間かけて冷凍された遺体は、長期保存のための低温保持装置に安置されました。


費用は約4万6千ドル(約500万円)だそうです。


わずか14歳の少女がしっかりと自分の死を受け入れ、さらに先このことに思いを巡らせているなんて・・・。


難しい問題です。


父親の反対する意見もよくわかります。仮に何百年か先に蘇生されたとしても、そこには御両親、友人知人もおらず、大きく環境が変わっているであろう世界に蘇るわけですよね。


却って辛い思いをしてしまいそうな気もしますね。でもまだまだやりたいことを残して、志半ばで、それも14歳と言う短い一生を終えなければならない、無念だらけの思いがそのような未来に思いを巡らせることになったのでしょうか?


父親にしてみれば、自分が既にいない世界に娘が蘇って・・・・、苦労していても助けてあげることもできないわけです。反対したくもなります。


一方母親はそれでも娘が選んだことを尊重したのでしょう。母親の方が強いかもしれませんね。


でももし自分が少女と同じ立場であったなら、同じ人間として蘇るよりも、新たに生まれ変わった人生を歩みたいと願うかもしれません。


これって日本人的発送なのでしょうか?


亡くなった人間の蘇生より、ガンと言う最大の病魔に医療技術が打ち勝つことのできる未来に期待をしたいものです。

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同害報復刑 [命]

法務省は11日、平成16年と23年に熊本県で起きた強盗殺人事件の田尻賢一死刑囚(45)の死刑を同日に執行したと発表しました。


裁判員裁判で死刑が確定し、執行されたのは2人目だそうです。


日本弁護士連合会は10月の死刑廃止宣言採択後初の執行を受けて11日、以下のような声明を出しました。


「強く抗議する。死刑の執行を停止し、制度の廃止を目指すべきだ」


一方、死刑廃止に反対する犯罪被害者支援に取り組む弁護士団体も11日に記者会見し、このように声明を出しました。


「死刑は極めて凶悪で重大な罪を犯した者に、裁判所が慎重な審理を尽くして言い渡している。法律に従って執行されるのは当然」


僕は後者の声明に同意見です。裁判の結果で刑の執行が確定した以上、執行されなければ何の意味もありません。


きっと何処まで行っても平行線なのでしょうね。


「国家が人の命を奪うべきではない」、「誤判があったら」と言うことを前提にするならば否定的にもなるでしょう。


極刑が慎重な審理に基づき、極めて凶悪で重大な罪を犯した者に科せられる刑罰であり、「誤判ない」ということを前提にするならば肯定的にもなるでしょう。そしてそこには不条理にも命を奪われた被害者とその遺族の強い思いもあるわけです。


現に極刑の判決が下されるような事件はいずれも耳を塞ぎたくなるような残虐な犯罪ばかりです。もし身内にそのような不幸が襲いかかったとしたら、きっと平常心ではいられないでしょう。


だからきっと極刑が執行されたとしても、無念の思いは一生晴れることがないでしょう。


極論を言ってしまえば、「誤判」を前提にしてしまうのなら懲役刑すらままならなくなってしまいます。


慎重な捜査と慎重な審理の上で判決が下されることを大前提としているから、犯罪者に対して、厳正な刑罰を科すことが出来るのだと思います。


こんな記事を見かけました。以前僕もこのようなことをブログに書きました。でも本当にこう言う国もあるのですね。


イランで8日、4歳の少女の顔に石灰をかけて視力を奪ったとして有罪判決を受けた男に対し、両目を失明させる刑が執行されたと言うのです。


テヘラン(Tehran)検察当局によると、イランでこのような犯罪に対して科され得る「目には目を」という厳格な同害報復刑が執行されたのは、今年に入ってこれが2回目らしいのです。


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同害報復刑刑と言うのですね。国際人権団体からは非難を受けているそうですが、 シャリア(イスラム法)では、同害報復の原則が中心的な位置を占めているそうです。


この制度には犯罪被害者が、加害者からの賠償金と引き換えに刑罰を免除することができる制度もあるようです。


2011年には、同国で近年相次いでいる酸攻撃事件で失明し顔に重度のやけどを負ったアメネ・バハラミ(Ameneh Bahrami)さんが、犯人に同じ苦しみを与えたくないとの理由でこの権利を行使したと言うことです。


死刑制度という極刑が他の犯罪を抑止する効果は統計的には証明されていないそうですが、僕はそんなことは絶対にないと思います。


人間である以上、少なくとも死への恐怖は必ずあると思います。ましてや同害報復刑のような刑罰があったとしたら。


誰もが人の命を奪う刑罰を好き好んで容認などしていないと思います。


しかし残念ながらそのような極刑があるにも関わらず、凶悪な事件が後を絶たないという現実もあります。


そういう現実がある以上、少しでも歯止めをかけることができるような極刑はやはり必要なのではないでしょうか?


勿論、このような刑罰の存在がなくても、凶悪な犯罪が起きない世の中になることが一番なのですが。

タグ:同害報復刑
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日弁連の「死刑廃止宣言」採択の矛盾! [命]

10月6日に日本弁護士連合会が開催した死刑制度に関するシンポジウムで、瀬戸内寂聴さん発したビデオメッセージが問題視されました。


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「(死刑制度推進派の)殺したがるばかどもと戦ってください」という部分です。


寂聴さんは問題視されたことを受け、誤解としながらも、14日付の朝日新聞の朝刊に掲載された自らのエッセーの中で以下のように謝罪しました。


「お心を傷つけた方々には、心底お詫びします」

「誤解を招く言葉を94歳にもなった作家で出家者の身で、口にする大バカ者こそ、さっさと死ねばいい」


誤解を与えたことに対してしっかりと謝罪をされていたので、さすがだなと思いましたが・・・。


それにしても驚いたのは日本弁護士連合会の採択です。日弁連は10月7日に「平成32年までに死刑制度の廃止を目指す」とする宣言案を、賛成多数で採択したと言うのですが・・・


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しかし日弁連が「死刑廃止宣言」を採択したことを受けて、弁護士ドットコムが、全国の弁護士を対象に死刑制度についての緊急アンケート調査を実施した訳です。


そのアンケート結果によると回答のあった164人の弁護士のうち、死刑制度の存廃について、ほぼ意見が二分されたというのです。


死刑制度についての考え方を質問したところ、47.0%が「存続するべき」と回答しています。


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その一方で、20.1%が「すぐさま廃止するべき」、24.4%が「将来的に廃止するべき」との回答で、両者を合わせた「廃止派」は44.5%でほぼ二分。「わからない」という回答が8.5%だったそうです。


しかし二分と言っても数字上は存続意見が多かったわけです。


何故このように意見が2分されている、それも存続意見の方が若干とは言え多い中で、死刑制度の廃止案が採択されたのでしょう?


日弁連の「死刑廃止宣言」採択の矛盾は何なのでしょう?


公正中立の立場であるはずの弁護士の集まりである日弁連の採択にはどうにも疑問符がつきますね。


一部の力のある弁護士さん達がゴリ押しで採択に持ち込んだ感が拭えません。


どういう経緯で、どのような流れで採択に至ったのか、誰が最終の判断をしたのかなどを是非公にして欲しいものです。


弁護士と言う職業柄からしても法を変える権利はないにしても、社会に与える影響は大きいと思います。


意見は人それぞれありますから、否定はできないにしてもまるで密室の中で行われたような採択の仕方は弁護士と言う職業にはもっとも似つかわしくないものだと思います。


今回のアンケートで自由回答でコメントを求めたところ、「存続するべき」と回答した弁護士からは、「被害者感情への配慮」、「終身刑などの代替する制度が整っていないため」などの声があったそうです。


日増しに増えていると思われる凶悪犯罪、児童虐待、いじめによる集団リンチなどの記事を目にするだけで、大きな怒りがこみ上げてきます。


身内や家族じゃなくてもです。これが家族であったなら、その怒りや悲しみは想像を絶するものがあります。


「すぐさま廃止するべき」、「将来的には廃止するべき」と回答した弁護士からは、「誤判がありうるから」「国家が個人の命を奪うべきではない」、「現在の無期刑では死刑の代替刑とならないから、重い無期刑(仮釈放がないなど)を整備すべき」などの意見があったそうです。


どなたかの投稿に「自分が被害者遺族であっても同じことが言えますか?」なんて言うのがありました。


最も尊重されるべき人命。だから国家が権力をカサに奪うべきものではありません。それは誰もが理解できることだと思うのです。


しかし死刑制度は、人命軽視でも国家権力による殺人でもありません。


人の道をあまりに踏み外した行為に対して、慎重に慎重を重ね、十分な審議をした上で科せられる刑罰です。


犯罪を犯したことに対する刑罰、それも一番重い犯罪を犯したことに対する刑罰なのです。


死刑制度を廃止したら凶悪な犯罪は増えるかどうかは問題ではありません。凶悪な犯罪に対する最も一番重い刑罰として、その選択肢を国家として持っておけばいいのです。


死刑制度が、犯罪被害者の支援や人権擁護の役に立っていると思っているかどうかを尋ねたところ、45.7%が「はい」、31.1%が「いいえ」、23.2%が「わからない」と答えています。


「殺してやりたい程憎い」と言う表現があります。愛する人の命をある日、突然、無慈悲な手段で奪われたとしたら・・・。誰もがそういう心境になるのではないでしょうか?


23.2%の「わからない」と答えた弁護士さん、わからないはずはないと思うのです。


何かが邪魔をしてそういう答えを述べたのではないでしょうか?というかそう思いたいですね、

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死刑制度批判の寂聴さんのコメントに波紋! [命]

6日に福井市内で開催された死刑制度に関するシンポジウムに作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん(94)がビデオメッセージを寄せました。


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しかしその死刑制度を批判したビデオメッセージが波紋を呼んでいます。


そのメッセージの中に「殺したがるばかどもと戦ってください」という発言があったからです。


当日の会場には全国犯罪被害者の会(あすの会)のメンバーや支援する弁護士もいたようです。その弁護士からこのようなコメントが出されたのです。


「被害者の気持ちを踏みにじる言葉だ」


「被害者はみんな加害者に命をもって償ってもらいたいと思っている。そのどこが悪いのか。ばか呼ばわりされるいわれはない」


寂聴さんのこのコメント、前後はこのようになっています。


「人間が人間の罪を決めることは難しい。日本が(死刑制度を)まだ続けていることは恥ずかしい。人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。みなさん頑張って『殺さない』ってことを大きな声で唱えてください。そして、殺したがるばかどもと戦ってください」


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寂聴さんらしからぬ過激な言葉です。


確かに今回の発言は聞き方によっては、犯罪被害者を中心とした死刑存続を望む人を「ばか」と呼んだとも受けとることもできます。


現にこの発言を報じる産経新聞記事を載せたヤフーのコメント欄には


「人の気持ちが分からない方だ」


「まず、被害者や遺族をひどい目に遭わせたばかどもがいますけど、それにはノータッチですか?」


などと瀬戸内さんに批判的な声が多く書き込まれたそうです。


発言が出た翌日の10月7日に行われた日弁連の人権擁護大会では死刑廃止宣言が採択されましたが、出席者からはビデオメッセージを疑問視する声が続出したのです。


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日弁連側は、瀬戸内さんの発言は犯罪被害者ではなく「死刑制度を含む国家による殺人」に向けられたものだと釈明しながらも、「配慮がなかった」などと陳謝しています。


確かにこのような大きなシンポジウムで、参加者の気勢をあげるには多少過激な言葉を使用することも理解はできます。しかし配慮に欠けていたことは否めません。


死刑制度の賛否は本当に難しい問題だと思います。個人的には賛成なのですが。


世論調査でも死刑制度容認派は1994年には73.8%、1999年には79.3%、2004年には81.4%2009年には85.6%、2014年には80.3%と容認派が多数を占めています。


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確かに冤罪と言う絶対にあってはならない大きな問題があります。


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社会環境や家庭環境、教育環境などが加害者に大きな影響を与え、中には加害者すらある意味においては現代社会の歪の被害者と言う考え方もできなくはありません。


また昨今、死にたいから他人を巻き込むような事件を引き起こすという死刑制度を逆手に取るような事件も気になります。


しかしやはり、最優先されるべきは「被害者とその家族」であるべきだと思うのです。多くの場合、被害者は何の関係もない罪もない人たちです。その命がある日、無残に奪われるのです。


どのような事情があってもその事実が間違いなければ、償わなくてはなりませんね。死刑が適応されるような犯罪はもはや取り返しのつかない犯罪と言っても過言ではありません。


死刑制度という極刑が他の犯罪を抑止する効果は統計的には証明されていないそうですが、僕はそんなことは絶対にないと思います。


前述したように自ら自暴自棄になり、死を望むんでいるような人には効果はないでしょう。


しかし多くの場合、自分の快楽、欲求を満たすために犯罪を犯しています。それは生きている事が前提の犯罪なのですから、その前提の生が奪われるのです。


僕も含め、自分が「今から死刑が執行され、命の灯が消される」となった時の恐怖心は想像を絶するものがあると思います。それがいつ執行されるかわからいとなれば、執行までのそのストレスたるや相当大きなものだと思われます。


極刑の次に重い無期懲役といっても、恩赦や特赦などの制度や服役態度がよければ社会に出てくることもあります。現在、一生涯刑務所を出られない、正に終身刑の制度も検討されているようです。


しかし以前にも投稿したことがあると思いますが、人間の順応性を考えれば、過酷な刑務所生活であっても、長くいれば「住めば都」になってしまうのです。


命を奪われる心配がなく、三食がつき、寝どこにも困らない生活、少なからず多少の娯楽もあるでしょう。


そのことを考えると「無期懲役」と「死刑」とは天と地ほどの差があります。


あくまでも死刑制度は「罰」なのです。


犯罪を犯したのですから、理由はどうであれば、罰を受けなくてはなりません。


ですからその犯罪の重大性によって、「死刑」と言う「自分の命を持って償う」と言う一番重たい「罰」があってもしかるべきです。


しかし一番重たい「罰」だからこそ、それを適応させるには慎重に精査する必要があるわけです。


死刑制度反対派の意見、言いたいことも良く理解はできますし、共感できる部分も多々あることも事実です。


しかし最優先されなくてはならない被害者感情、死刑制度による犯罪の抑止力、これらのことを考えると、個人的にはやはり死刑制度の存続には賛成です。


このようなことを考えてはいけないのかもしれませんが、僕なら「死刑」すら生ぬるい、自らが犯したのと同じ方法で、「どれだけ被害者が怖かったか」、「どれだけ痛かったか」「どれだけ無念であったか」を自らが感じながら刑を受けろと考えてしまいます。


もし自分の身内、愛する者が突然、命を奪われたとしたら・・・


それでも死刑制度反対と言い続けられる事が出来る人が果たしてどれだけいるのでしょう?

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人の寿命の上限を発見! [命]

驚きました。このような研究論文が発表されるとは。


なんと「人の寿命の「上限」を発見した」とする研究論文が5日に発表されたのです。


その上限とは・・・122歳。


米アルバート・アインシュタイン医科大学の研究チームが世界40か国以上の人口統計データを詳細に調べ、長年続いた最高寿命の上昇が1997年頃に横ばい状態に達していたことから、すでにその終点に「到達」していたことを突き止めたというのです。


その1997年というのが、フランス人女性ジャンヌ・カルマン(Jeanne Calment)さんが前人未到の122歳と164日で亡くなった年であったことからそのように判断したようです。


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論文の共同執筆者で、アルバート・アインシュタイン医科大のブランドン・ミルホランド氏は、AFPの取材に「それ以降は、世界最年長者が115歳前後という傾向が続いている」と説明しています。


でもそれをもってして人の寿命の「上限」とするのも少しさびしい話です。


しかし病院にも行かず、薬の力も借りず、人間が本来もっているであろう自身の生命力と、運動、大地の恵みである食事だけで一体どれだけ長く、元気に生きられるのでしょう?勿論自然な衰弱を含めての話です、


医療の技術が進歩したことにより寿命は大幅に長くなりましたが、医療の力を借りた時点で、「生きている」から、「生かされている」に変わってしまいます。


医療の力を有効に活用することによって長生きできる寿命と人間本来の力で生きられる寿命、はたしてどれだけの開きがあるのでしょうね。


フランス人女性ジャンヌ・カルマン(Jeanne Calment)さんが前人未到の122歳と164日で亡くなったとことですが、カルマンさんの寿命は医療の力を借りた寿命だったのでしょうか?


勿論医療の力、薬の力を借りながらも、寝たきりにならず、それなりの生活の質が保たれているのであれば全く問題ないと思いますし、本人も長生きしたいと思うでしょう。


日々、愛する家族との触れ合いがあり、美味しいものを食べ、適度に体を動かし、仲間と語り合い、時代の変化を楽しめる生活であれば、こんなに楽しい人生はないですものね。


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それらの多くが叶わなくなった時、寿命を迎えていなくてもきっと精神的な寿命はきっと事切れてしまうのでしょうね。


そうならないためにも今を頑張らなければなりませんね。

タグ:寿命 上限
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安楽死の是非 [命]

リオ・パラリンピックの陸上女子400m(車いすT52)選手で「安楽死することを考えている」と話していたベルギーのマリーケ・フェルフールト選手(37)が銀メダルに輝きました。


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安楽死という現実を目の当たりにしている選手が銀メダルを獲得したのです。その努力と精神力の強さたるや常人では考えられません。


大会後に安楽死する意向だと言う報道もありましたが、本人がその事を否定しました。


記者会見でフェルフールト選手はこのようにコメントしたのです。


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「あらゆる細かな瞬間をまだ楽しんでいる」


「その時が来て、良い日よりも悪い日が多くなれば、安楽死の書類は用意してありますけれども、その時はまだ来ていない」


「もう耐えられないと感じたら自分で死を決められる。許可証の存在は私に安らぎをもたらした。限界はなるべく先延ばししたい」


マリーケ・フェルフールト選手は、15歳で障害があることが分かってから、進行性のため症状が悪化する体で挑戦を続けてきました。


この病気は、筋力が次第に衰える進行性の脊髄の病気で、持続的な痛みや発作、足の麻痺を引き起こし、その事でわずかしか眠ることが出来ないことも珍しくないようです。


そう言う過酷な日常から、患者の意思により医師が薬物などで死に導く安楽死を八年前に申請し、それが許可されていたそうで、それを公表したため、今回、クローズアップされたようです。


日本では認められていませんが、現在世界では、積極的安楽死(本人の自発的意思のもと、医師が自殺幇助すること)が認められているのは、ヨーロッパの数カ国や米国の一部の州に限られているそうです。


その中のひとつであるベルギーでは2002年に安楽死が合法化され、2015年の報告件数は2000件を超えたそうです。


なんとヨーロッパではスイスが1942年には既に積極的安楽死が合法化されていたそうです。


基本的に安楽死は、本人の意思を確認できる18歳以上が原則となっているそうなのですが、オランダでは末期がんに侵されている子供を苦痛にさらすのは非人間的だという理由から、その年齢が12歳に引き下げられているそうです。


命に関する問題ですから、安楽死の是非については本当に難しい問題です。勿論、本人の気持ちが何よりも尊重されなくてはなりませんが、そこには深く関わりあう家族もいますから。


個人的には積極的安楽死には賛成です。昼夜、激痛や発作などに見舞われ、もし回復の見込みが本当になかったとしたら。


回復の見込みがない治療に莫大なお金がかかり、それが家族の生活を大きく圧迫していたとしたら、その精神的な苦痛は計り知れないでしょう。


そして意識がなくなり、自覚のないまま迎える家族との別れは、考えただけでも切なくなります。


もし自身の心の中で、自分の生きてきた人生の総括が出来て、悔いもないと言う心境になれば、意識がハッキリしているうちに家族と最後の時を過ごし、しっかりお別れをして天国に旅立てる事はきっと多くの人が望んでいる事なのだろうと勝手に想像しています。


一方、自殺幇助に反対する団体は、医師に致死量の薬剤を処方する権限を認めることは貧困層や十分な医療を受けられない層を傷つける結果となり、「機能不全の医療システムに安楽死と言う選択肢を加えると、人々をより安価な死の選択に向かわせる結果となる」と指摘しています。


しかしオランダやベルギーあたりでは、安楽死が合法化されてから既に10年以上の月日が経過しているようですが、「死」が合法化されたことで安易に死を選んだり、また安楽死を勧められたりする人が増えるのではという懸念もあったようですが、この10年間の調査ではその割合は意外と少なかったことが判明しているのです。


本当に難しい問題です。しかし誰もが死と言う問題にはいずれ向き合うことになります。改めて考えさせられました。


それにしても「積極的安楽死」に対して「自殺幇助」という言葉はあまりにも不似合いに感じるのは僕だけでしょうか?

タグ:安楽死
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